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カセットプラント ファクトリー通信 vol.0007 2008/06/25発行
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●目次
【1】青森 弘前便り(その2)
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【1】青森 弘前便り(その2)
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前回に引き続き、2006年5月に弘前市民会館で開催された『建築家・前川國男
生誕100年祭<弘前で出会う 前川國男>』においてカセットプラント作品展示に
まつわるエピソードを前川國男の建物を大切にする会」の折谷小百美さん
(ファクトリー事務局メンバー)に記していただきました。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
電話から1ヶ月後、山口氏がイギリスから帰国当日の2月20日、指定された時刻に
お電話したが、山口氏は電話に出られなかった。
あたかも待ち構えていたかのようで、大変電話をしづらかったが、夜になって意を
決して再度お電話して、ようやくご本人が出られた。
(このあたりの記憶は山口氏と微妙に違っているようである。)
山口氏がイギリス滞在中に、前川の会の資料を揃え送っておいたのを目を通して
頂いたか気になっていた。
山口氏はかなりの時差ボケと疲れで本調子ではなさそうで心苦しかったが、こちらは
一刻の猶予もない状態で、できればすぐにでも一度弘前へ下見に来て頂きたかった。
これからどうなるのか、何も考えることができなかったが、まず、山口氏に現場を
見て頂きたかったのである。
無理は承知の上で、できるだけ早い日程で弘前へ来て頂きたいとお願いした。
山口氏と相談の結果、一度兵庫へ戻らなければならないところを、弘前経由で戻っ
て頂くということで、弘前へ来て頂くことを決めて頂いた。
山口氏の帰国が2月20日月曜日、その週末の2月25日土曜日には弘前においで
頂くことになったのである。山口氏の体調や仕事の予定などを考えると、話さなけれ
ばならないこと全てが申し上げづらく、かといって私たちには時間がない、という状況
の中で、電話では終始緊張しっぱなしだった。しかし、山口氏はこちらの意向を酌ん
で何においても協力的に対応してくださった。私は電話を終えるたびに、ほっと胸を
なでおろし、感謝の気持ちでいっぱいになった。
青森空港には私と、前川の会の代表、葛西ひろみさんで出迎えた。
その日は2月にしては珍しいほどの快晴だった。あたりはまだ一面の雪景色である。
テレビでカセットプラントに出会ってから、帰国直後に山口氏に弘前に来て頂くことに
なったドラマチックな経緯と、今日ご本人にお会いするのだという興奮に車中は大騒
ぎで、用心して相当の余裕を持って出発したにもかかわらず、盛り上がり過ぎて、間
違うはずのない空港への道を間違ってしまった。道を間違えたことにも気付かず、
三内丸山遺跡まで行ってしまって初めて間違えたことに気づき、大慌てで空港へ向
かった。車から走って青森空港の到着ロビーに着くと同時に山口氏が出口から出て
こられた。寸でのところで失礼することをまぬがれ、弘前へ向かった。
出発してしばらくすると、晴れ渡った空にひときわ美しい姿を見せたのは、津軽の霊峰、
岩木山である。山口氏は山の名前を聞き、岩木山の美しさに魅了された様子である。
ご自分の姓に山の字があること、岩木山の形が象形文字の山そのものだということ、
最近山に意識が向いていることなどを話された。
私は山口氏が岩木山を見てすぐに強い関心を示されたことで、はっとした。
前川國男も岩木山を意識の中心において弘前の建物を造ったからである。
この山が津軽の人々の心の拠り所であることを、山口氏は見た瞬間に察したのだろう。
弘前に到着してまっすぐ弘前市民会館へ向かった。
弘前市民会館は、同じく前川國男設計の弘前市立博物館と隣合わせで、桜まつりで
全国的に知られる弘前公園の一角にあり、竣工は昭和39年(1964年)である。
コンクリート打放しの外装に赤い楽屋出入口ドアのコントラスト、赤や青をポイントに
配色した内装、前川事務所の女性職員手作りの銅管のシャンデリアに反射する光、
棟方志功の緞帳を楽しみつつ、木々に囲まれた閑静な佇まいの落ち着きある空間は、
ただそこにいるだけで幸せ感に満ち溢れる。
山口氏は建物が丁寧に扱われてきたのが感じられると感心されていた。
カセットプラントを展示するならば、やはりアプローチから二階のホワイエに続く、
階段脇の窓だろうということである。様々な大きさの窓が壁一面並んでおり、
カセットプラントが窓の外の緑に映えるに違いない。想像するだけでわくわくした。
弘前市民会館を後にして、次には木村産業研究所へと向かった。
木村産業研究所は、前川國男の名を冠した初めての建物、前川のデビュー作である。
パリ留学時代に親交のあった木村隆三(弘前市出身)の依頼により地場産業振興の
場として建てられた。竣工は昭和7年(1932年)、前川27歳の時である。
戦前の弘前に忽然と現れた真っ白の四角い箱のような建物。
昭和10年(1935年)にここを訪れた建築家ブルーノ・タウトは著書『日本美の再発見』
で、その印象を”どうしてこの辺境の地にコルビュジェ風の白亜の建物があるのか”
と記している。
本当のところ、この時点では、カセットプラントの展示場所は、弘前市民会館と
木村産業研究所の2つを候補としていたが、どちらにするか、正式には決まって
いなかった。現に手元に残っている山口氏への最初のファックスには、木村産業
研究所に展示を考えている、と書いてある。希望としては、すでにピアノコンサートや
講演会を行うことが決まっていたため、やはり同じ弘前市民会館に展示して頂きたい
という気持ちがあったが、前例を見ない美術作品の展示に許可が下りるのだろうか
という、最大の難関が待ち受けている。さらに、展示に最もふさわしいと思われる
階段脇の窓にカセットケースを設置するためには、階段をベースにした足場が必要
と考えられたが、予算や安全を確保することは可能なのだろうかということもあった。
しかも階段はゆるくカーブを描いているのである。実現を夢見ながらも、不安材料が
頭をもたげた。
一方、木村産業研究所に展示した場合、お客様にはご足労だが、前川の処女作に
足を運んで頂けるのは嬉しいことだ。この建物に感動したことが前川の会発足の
動機ともなっているのである。作品の展示に足場など用意する必要もなく、脚立が
あれば一番高い部分にも手が届くだろう。エントランスホールは横長のスチール
サッシュの窓枠が連続するガラス張りの、光がたっぷりの空間で、はめ込まれて
いるのは、今なお当時の美しいガラスである。このモダンな空間とカセットプラント
の組み合わせもおもしろそうだ。武家屋敷の名残ある通りにひっそりと佇む建物は
まさに息を吹き返しそうである。
山口氏がここをどんな風に捉えるか、展示場所としてとても心惹かれるものがあった。
ニ箇所の候補を下見して、木村産業研究所の貴賓室で一休みしようということに
なった。降り積もった雪がのっそりと窓に向って垂れ込めている形が生き物のよう
でおもしろいと山口氏が珍しそうに眺めている。一息ついて、山口氏に下見の感想
をお伺いした。山口氏の考えは非常に明確で、作品を展示する場として、建物を
どう感じたかということに的が絞られていた。決められたのは弘前市民会館である。
私はなぜかとても安心した。きっと、弘前市民会館と言って欲しかったのだろう。
そうだ、頭で考えて、できないかもしれない理由に不安になっても仕方ない。
感じたままに進み、何かに妨げられそうになったら、それをクリアしていけばいい
のだと、山口氏の言葉を聞いて気づいたのである。その場に居合わせた全員が
山口氏の考えに賛同した。
展示会場が決まって一同緊張がほぐれた。
雑談の中で、この建物にブルーノ・タウトが訪れたことを山口氏に告げると少し
びっくりしたように、このイギリス滞在中、ブルーノ・タウトの『日本美の再発見』を
読んでいた、というのである。後の奥様の話によると、なんでこんな重そうな本を
わざわざ持って行くんだろう、と思ったというのである。山口氏がその本を読んだ
のは数年ぶりということである。なぜ、選んだのかもわからないという。
そのイギリスから戻って5日後に、本の中で触れられている、辺境の地に建つ
コルビュジェ風の建物の中にいるのである。
このちょっとした偶然の出来事の話題で、場が和み、そのまま夕食へと出かけた。
ところがこの後、食事を共にしながら話をする中で、山口氏との間に偶然の一致が
頻発するのである。私と向かい合って座っている山口氏が笑いながら、
「もう、やめてくださいよ」と言ったのを今もはっきりと覚えている。
急遽弘前に来ることを決めて頂いたため、こちらも急遽宿をさがしたのだが、
たまたま弘前で何かの学会が開かれていたらしく、市内のホテルはどこも満室で、
ようやく予約できたのは老舗の旅館のみであった。歴史ある建物で見学に訪れる
人もいるほどの旅館だが、入浴時間に制限があり、幾分ご不便をかけるのでは
ないかと気がかりだったため、入浴に間に合う時間には宿にお送りした。
なんとこの旅館は、ブルーノ・タウトが弘前を訪れた70年前に泊まった旅館だった
のである。この時私たちは、そんなことを知る由もなかったが、後にそれを知った時、
木村産業研究所での、ブルーノ・タウトにまつわる偶然の話が頭の中で反芻され、
またしても、時空を超えた奇妙な感覚に包まれたのである。 (随時連載)
折谷小百美
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『建築家・前川國男 生誕100年祭<弘前で出会う 前川國男>』
記念誌のお問い合わせ先
前川國男の建物を大切にする会
〒036-8227
青森県弘前市桔梗野1丁目13−13
TEL.FAX. 0172-33-3260
URL
http://www.geocities.jp/tigra_97/------------------------------------------------------------
【出版関連】
●『AC2[エー・シー・ドゥー]』No.9
発行:国際芸術センター青森AIR実行委員会
発行日:2008年3月31日
お問合せ:国際芸術センター青森
Tel.017-764-5200 Fax.017-764-5201
e-mail acac-1@acac-aomori.jp
http://www.acac-aomori.jp/ 山口啓介関連内容
2007年4月21日〜5月20日 「山口啓介−睡蓮の地球図」展
「突き当りが見えない」北谷正雄(豊田市美術館 学芸員)
P11、P62−65
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編集 カセットプラント ファクトリー通信編集部
発行 カセットプラント ファクトリー事務局
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